ご案内
高速からギューッ=と強くブレーキを踏むのは、自信がないとむずかしいことだが、こいつはクルマの運転でもっとも重要なことだ。
Sさんの運転から一般の老人が学ぶものがあるとすれば、やはりこのブレーキングである。
自分のいつも乗るクルマで、思いきりブレーキを踏んでみたらどうなるか、老人ドライバーといえど、そいつは知っておいたほうがいい。
これを一度くらいすいた道で試しておくと、イザというときにかならず役にたつはずだ。
私がカッコいいと思う老人たちは、いつまでも男であることを捨てないで、自分は男だという意識を持っている人たちである。
いざというとき、男はたとえ敵わぬとわかっても、「表へ出ろ」ということができなければなるまい。
世の中の流れに負けてしまうようでは、カッコいい老人になれないと思う。
視力が弱くなったら、それなりの工夫のしかたがある.
若いころから目はよいほうdatta。
この歳になるまで、さんざんクルマを乗りまわし、しかもときに相当乱暴なことをしながら、大きな事故ひとつ起こさずにすんできたのは、ひとつにこの目のよさのおかげだったと思っている。
が、五十五歳ぐらいから、急速に目の衰えが意識されるようになった。
近視、乱視の度が進み、かつてのようにスツキリ、はっきりと対象が見えなくなってきた。
同時に太陽光線がまぶしくなり、木漏れ日のまだら模様などがとても見にくくなった。
こいつは若いころ会社をつぶしたショックではじまった積年の糖尿病からくる白内障を患ったことにも関係する。
白内障は眼科の先生に手術かいしてもらい、なんとか治してもらったが、近視、乱視の方はいかんともしがたいので、ついに眼鏡のお世話にならざるを得なくなった。
かくして私の免許証にはか眼鏡等の三文字が入るようにあいなった。
裸眼で0・六と0・四のところを、0・八に矯正している。
本来なら、もっと度を強くして一・O以上にはできるのだが、そうなると眼鏡の端で像が極端にゆがむ。
これがイヤなのだ。
若いころからの眼鏡のベテランならそんなことはないだろうが、メガネ初心者の私は、階段などを眼鏡をかけて降りるのがやたら怖い。
クルマを運転していても、眼鏡の視野からはずれたものが横からスツと視界に入ってきたときなど、ドキッとしてしまう。
夏の晴れた日のトンネル、こいつが要注意だ。
老人は瞳孔の動きが鈍くなるので、明るいところから一転して暗いところに入ると、瞳孔がすぐ聞かない。
そのため数秒、視野が真っ暗になってしまう。
ましてや白内障ジジイの私は、まるで黒い壁に飛び込んだようで、えらくおっかない。
トンネルに入るときはおのずと右足がアクセルから離れ、」ブレーキを踏んで、初回ぐらいは下げて走るようになった。
とにかくトンネルは苦手である。
私は片側一車線の狭いトンネルがある北陸自動車道なんぞは、なるべく避けるようにしている。
好きな金沢へ旅行するときは、関越自動車道経由ではなく、東名高速を使い、名神、北陸と、遠まわりをしていく。
「夜」「雨」「高速道路」、この三つの条件が重なるときは、もはや私はよほどの必要でもないかぎり走らないようにしている。
昼間ならいたって走りやすい第三京浜も、雨の夜ともなると、標識などがえらく見にくくなる。
とくに中央自動車道は、山間部に入ると照明がないので、視力の衰えた私のようなジジイにとってきわめて剣呑だ。
いずれにせよ、視力の衰えは運転の自信に大きな影響をあたえる。
車幅感覚があやしくなって、狭い橋の欄干が気になりだすのも、狭い道でのスレ違いが苦手になって、相手をやりすごしてから走るようになるのも、ひとえにこの視力の衰えからだ。
結局、私が衰えたと思うようになったのはこの自信のぐらつきによるものだろう。
それが証拠に、調子のいいとき悪いときによって、この自信はずいぶん違ってくるのだから。
しかし、私は依然として人をひっかけたり、クルマを壊したりの大事故は起こしていない。
また、自分も大怪我をしたりしていない。
なぜか。
それは私に長年にわたるドライブの経験があるからだ。
大脳生理学の説によると、身体を動かす能力の記憶は、大脳基底核や小脳に運動神経系の記憶として刻印され、ちょっとやそっとのことでは失われないそうだ。
いったん覚えた泳ぎや自転車乗りを忘れてしまう人がいないのはそのためだという。
すなわち私が若いときから身体が覚えたドライブのイロハが私を危険から遠ざけているのだといえよう。
もちろん目から入る情報はクルマをドライブするうえできわめて大切だが、視力がいいからといって、それだけでドライブが上手く、安全になるわけじゃない。
目から入った情報を、どう判断し、どうクルマを動かすかでドライブは決まっていく。
これも悪くなった目のなせるものだと思うが、最近、長く直線を走るのがむずかしくなった。
それを私は視点をちょっと遠くに置くことによって解決している。
視点を近くに置くと、近くのものの動きが速すぎて目で追えず、自信がぐらつく。
だから私は狭いところを通ったり、厳しいすれ違いをするときなどは、入るところだけ慎重にゆっくりと入り、その後は視点をすこし先へ移して走っている。
おそらく多くの老ドライバーは目に自信をなくして、知らず知らずのうちに視点が近くなっているのではないか。
視力を劇的に改善する手段はないのだから、せめてもうすこし遠くを見るなど、工夫をすることだ。
それだけでも相当、自信を取りもどせると思う。
自分の運転を冷静に見つめてみることだ。
運転というものは、目で見る→脳が判断して、次にとるべき行動を考え、手足に指令を送る→手足が動く、ということをくりかえしながらおこなわれる。
したがって、なるほど第一には固なのだが、この目はべつの言い方をすれば、脳であるともいえる。
クルマの運転とはきわめて理知的な作業でもあるのだ。
脳が判断し、手足にサインを送って動かすのだが、この判断が鈍くなるのも老齢ゆえのことである。
ひとつは、情報の入ってくる目が若いときよりシャープでないこともある。
しかし、それに加えて脳の判断力もシャープではなくなっている。
これは手足の動きでも同じことで、この一連をもって老化というのであろう。
もうひとつ問題なのは、視野の端に入ってくる情報が少なくなることだ。
夜間、クルマを運転していて、視野の端をスツと過ぎるものがあると、ドキツとする。
人だか何だかわからないのである。
若いころなら、それが何であるか瞬時に判断できたのだが、視野が狭くなっているため、そこのあたりがだんだん鈍くなってくる。
こいつが怖いのだ。
これは総合判断を誤らせることになる。
運転は主として脳の仕事であるから、少ない情報下でもできるだけ正確に判断する訓練はできないでもない。
この判断の訓練は、手足の動きと表裏一体のものであるが、大切なのは、ふだんからいかに考えながらドライブするように習慣づけているかにかかっている。
これまで、よく考えつつ、不断に判断を下しながら運転する訓練をつづけてきたのであれば、その習慣づけは大きくモノをいうだろう。
そのためにも、私はバックミラーの調整はきちんとやる。
バックミラーは老人ドライバーの命綱である。
バックミラーをよく見る習慣をつけることだ。
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